
キリストにとどまる
#ダブルでシングル、#ゴスペルリビング、#ゴスペルエッセンスライフ、#シングルクリスチャン女性の励まし
「キリストの内ある私・そこから出ない私」
「キリストの内にある」という事は、
私の思考回路の中でも結構成長しているのではないかと
思うぐらい、考える事が、大好きな真理、会話のトピックです。
クリスチャンになって一年後くらいに、弟子訓練学校という6ヶ月のコースに参加したのですが、その時に初めて聞いた「キリストにある私」という教えがありました。
青虫から蝶に変身した私は、「罪人の伸子さん」から 「キリストと共に死に、キリストと共に甦った」ので、以前は1人でしたが、新生した時から「キリストの中に入った」という事が「新しく神の国に生まれた」事で起こった素晴らしい恵み、プレゼントのリストの一つなのです。
「ニュークリエイションリアリティー」ともいいますが、私は新しく生まれた、
同じ人類では無く、聖霊様が内に住んでいるという事で神様が「訪れる」から「住まわれる」事に変化したというか アップグレードして下さったのです。
そして、私も「キリストとともに十字架につけられ、キリストと共に甦った」ので
私は「自分だけ」という人生では無く「キリストのうちにあり、また内住
のキリストの聖霊様を受けた」新しい私、いつも、どこにいても「主がともにおられる」
その事を、私はこっそり、「私達」と呼んでいますが、笑。。。
その真理が私達の人生に現れるには何が、必要でしょう?
信仰によって私達は神の言葉を信じて、疑わず み言葉を聞くだけでは無く、行う者
になりなさいと教えられていますが、「キリストの内にいる自分」「キリストにとどまる」事を実践するのとしないのでは、昼夜の違いだと、私は感じています
ヨハネ15章では「わたしはまことのぶどうの木で、あなたは枝です」とあります。
枝は木から派生します。木が先です。イエス様から生まれた私達信者は、「神によって生まれた者」ともいわれています。ですから、神の国に生まれた時に、神様の子ども達は、ぶどうの木から生まれた枝とも呼ぶ事ができると思います。
我らは神の中にいき、動き、存在する とあるように 私たちは最初から「神の中に生きる」ものとして創造されています。そしてそれは、「神によって満たされること」ですね。
言葉ではなく、絵として想像してもらうとわかりやすいと思います。
