
My better half 我が良き片羽
「my better half 我が良き片羽 」
シングルネス(独身である事)を話す時に、自分の心にも
チクチクする事があり、きっと私の心だけがチクチクするのではないと
思う事があります。
それは「結婚していない私は足りないのか? 欠けているのか?」
という思いです。
英語でmy better half といいますよね、我が良き片羽、片割れ。
伴侶の事をさして使うようです。「ふ〜ん」て感じです。
なので、どこからこの言葉が来たのか、語源を検索して見ましたが、
ぎょ!!っとしました。なにこれ〜
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〜Jack の英語の木より引用〜
よく夫婦の相手のことを「ベターハーフ」(Better half)と呼びますね。夫婦のパートナーのことは配偶者、伴侶、連れ合いなどいろいろな呼び方がありますが、なぜBetterでHalfなのでしょうか?Betterはgood, better, bestの比較級のうちの真ん中です。Best halfではダメなんですか?反対にWorse halfとの言い方があり、悪い夫を指すようですが、こちらもbad, worse, worstのうちレベルが真ん中なのはどういうことでしょうか。
そもそもこの言葉の始まりは、古代ギリシャ時代までさかのぼります。もともと天国では、ひとつだった人の魂は、この世に生れる時に男性と女性に分けられて別々に生まれてくるので、現世で天国時代のもう片方の自分に出会うと、身も心もぴたりと相性が合うといわれます。その相方のことをベターハーフと呼んでいました。
上記の話は、ギリシアの思想家プラトンの「饗宴」という紀元前4世紀の本からであり、その中にベターハーフの元となる話があり、もう少し詳しく見てみましょう。
古代の最初の人間は、頭が二つに手足が四本づつあって、円筒状の横腹をそなえていて、現在の人間二人が背中合わせにくっついたような形で、丸いからだをしていました。男と男がくっついたもの、女と女、そして男と女の組み合わせの、三種類の人間がありました。この中で、男と女が一体となっていた人間は「アンドロギュノス」といわれていて、自惚れが強く、神々に戦いを挑もうとした人間たちでした。これに対して、ゼウスは怒って、それぞれの組み合わせのものを、2つに切り離すように決断しました。
全能の神ゼウスは、「アンドロギュノス」をまず二つに分けました。またアポロンは胸を作り、四方八方から皮を腹の真ん中へ引き寄せそこで締めくくったので臍と呼ばれているものができました。その後男と女を分ける作業をしました。もともと人間は一つのものだったのですが、二つに別れ、各々は半身に過ぎず、常に自分の半身を求める事になったのです。このようにして男達は皆女好きであり、女達も同様に男好きになり子孫を残すようになりました。
しかし、女と女、男と男の組み合わせの人間から別れたものの中には、女達は男には興味なく、女ばかりに心を寄せてものがおり、男達にも同じものがいました。同性愛者はこの名残であり、この種族から出てきます。
これにより原形を切断された人間は、失った自分の片割れに憧れ、自分のより良い半身である相手を、ベターハーフ(Better half)と呼ぶようになりました。
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創世記から盗んでる!!真逆にしている!!ホラーバージョン。。汗
ですよね〜。ひどい。。
で、この事を考えて、書きながら、一つ感じたことがあります。
私たちは、「半身」では無いってことですね。聖書の真理でわかります。
ぜひ!!創世記の1章と2章を読んでみてくださいね。こっちが真理です。
原型の切断、とかじゃなくて、 神様は最初から「男」と「女」として「神様のに姿を2人
の人たちを通して現すこと」を計画して作られました。神様は「一致」の神様ですが
「ひとり」では異なることがないので、一致もないのですね。(笑) もっと知りたいとこ
ろですよね〜これ。
素材としては「アダム」の肋骨を使いましたが、それは「女性が横に立って生きる」
事を示していると聞いたことがあります。
頭や足ではなく、「肋骨」です。
そして創世記の2:18では神様が「わたしは彼のために彼にふさわしい助け手を作ろう」
と言った後に、エバが造られる訳ですから。。女性は「助け手」です。
(助けが必要な状況で、自分より弱い人に頼む人はいませんよね〜笑 ふふふ。助け手は
マイナスなことではないですよ〜、これも敵の嘘っぽいですね。そしてこの「助け手」の言
語は詩篇の中で「聖霊様」を表現する時に使った言葉と同じですって。)
私が言いたいことのポイントは「私は独身であるけど半身(50%)では無い」ってことで
す。結婚すれば(100%)じゃないってこと。
もちろん、神様の素晴らしい!計画のうちにあって、「2人は1つになる」っていう
結婚のミステリー(奥義)があります。でもそれは「半分」と「半分」が一緒になり、一つ
になるのではないのです。!!!!
「全き人(100%)」と「全き人 (100%)」が結婚して、互いを
完全に捧げることで「1つ」になるわけだし、そこにはイエス様が間にいる訳です。
でも、よく言われますけど、「自分の足りないところを伴侶によって満たしてもらうつもり
結婚」は大変だし、それは神様の願っている姿では無いようですね。
わたしの「欠け」は全部イエス様に満たしてもらう大切なチャンスなのです。人には満たせ
ないです。笑。。
そして、もし「自分の伴侶になるべき人を見つけた、発見した」と考えてしまうなら、
それもおかしいことではないのですが、最近チェックしたブログでも
「見つけた、発見した」と思って結婚して、うまくいかなくなったら「間違えた」になっ
て、終わってしまう。
だから、そうじゃなくて「わたしはこの人を伴侶として生きることを決断します」と
誓う方がいいですよね。「この人かと思ったけど間違った」って大変です
