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一人で独身を生きるか、二人で独身を生きるか  

#ダブルでシングル#ゴスペルリビング#クリスチャンシングル女性


その2


私にとって「ダブルでシングル」というのは、「キリストの内にあって全き者とされた」という事が、「今独身として主の命で生かされていること」ことからなっている「実」です。


私達は、人生の最初はイエス様との関係抜きで、罪人ですから、その時には「全き者」

欠けが無い人って事は、ありえないのです。


創世記の最初の所でわかるのは、神様は人類を「完全な関係」のなかで神様の選んだ事の中で生きるように。

「生めよ、増えよ、地を満たせ、地を従えよ」と祝福し、そして無条件の愛、見返りを求めない神様の愛によって、「自由意志」を人間に与えて愛してくれました。


でも「神様の様になる」とヘビ、サタンが誘惑して、ただ一つだけ食べてはならないといわれた「善と悪を知る知識の木の実」を食べた時から、人は「自分が神様」のようになり、権威を悪魔に渡したので、「罪のどれいー罪人」になってしまったのですよね。

そして、罪人は神様から離れてしまい、「欠けて」しまって、欠けを満たすためにますます泥沼にハマるわけです。


でも、自分の罪を認め、悔い改め、イエスの十字架の死、甦りのわざに信頼して、赦しを受け取り、新生した時に、

「クリスチャンになった」だけではなく、神の子とされ、全く新しい人にされたのです。


それは「ニュークリエイション リアリティー」と言いますけど、キリストの内にある人は

「全てが新しい人」にされ、青虫がサナギを経由して蝶になる様に、同じ個体でも、違う性質や生き方をするようになったのです。


ですから、それまでと同じ様に考える事は必要なくなりました。


それ以上にローマ書12;2であるように 「この世と調子を合わせてはいけません。思いを神様の言葉で一新しなさい」とあるので、蝶になったら青虫の食事は出来ないし、地面を這うこともしないのです。蝶は蝶の食事をして、蝶の体にあったように生きる様に神様造られたのですね。


その「キリストの内にあって全く新しくされた私」は全く欠けがない人なんですね。

イエスキリストは全てを満たす方ですから。 コロサイ2:9、10


「人間の心の奥底には、何によっても満たすことのできない穴があって、それは

「十字架」の形をしていてね、イエスキリストの十字架の贖いの働きでしか、埋められないんだ。」と聞いたことありませんか?


もちろん、「罪人」から「神の子ども」「聖徒」とされた私達の全ての人生の部分は

キリストの十字架の働き、命の力で満たされるのですが、山あり谷あり冒険山盛りの私の人生では、「独身であること」もキリストの内にあること。


自分一人で、「独身者」として生きるのではなく、私の主であるイエスキリストと一緒に二人でお一人様を生きていけること。

一生独身でいるとは決めていませんし、一生独身の召しがあるかもまだ不明です 



なにはともあれ、私を愛して、私の為に十字架につけられて死なれたイエス様と一緒に

「ダブルでシングル」と名付けてみました。

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