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「相馬先生」だった母へ〜90歳の誕生日の回想 

7 分前
読了時間: 4分
お祝いのテーブル イベント好きなので喜んでくれました 
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「相馬先生」だった母へ ~90歳のお誕生日に、ありがとうを伝えたい~


明日、9月30日は、母・和子の90歳の誕生日です。父もすでに90歳。今、私は90歳の両親と一緒に暮らしています。


実は、母と私は、小さい頃から仲良し親子だったわけではありません。(母がどうおもっているかは、わかりませんが。。。私を好きだったことは知っています) 

母が38歳の時に生まれた私は、小学校の友達のママたちより、10歳ほど年上のお母さんを持つ子どもでした。しかも母は、学童保育の指導員。保育園の頃から母に連れられて、私も学童保育に通っていました。5、6年生になるまで、です。


そこでの決まりは、母を「相馬先生」と呼ぶこと。お母さんは、私だけの「ママ」ではなく、みんなの面倒を見る「先生」でした。小さな私は、そこにさびしさを感じていたのだと思います。服を買ってもらう時も、真面目な母の好みと、私が欲しいものはちがいました。買ってもらえなくて、泣いて怒ったこともあります(笑)。

思い返すと、何かをねだって買ってもらった記憶が、ほとんどありません。


今になって思うのです。あの頃の私の心には、「私は誰にも頼れない」という、孤児のような思い(聖書の言葉でいう「孤児の霊」)が、静かに根を張っていたのかもしれない、と。


母は、私が小学1年生の時に膠原病で倒れました。それからは、高熱や入院をくり返しながらの子育て。親切だけれど、あまり子育てには関われない夫と、子ども2人の4人家族。近くに親しい友人もいない中で、母は本当にがんばってきました。


そして母は、平和のための活動にとても熱心な人でした。私は小さい頃から、戦争の記録映画に連れて行かれました。そこで見た映像は、私の心に深く残り、恐れとして植えつけられてしまいました。もちろん、私も戦争には反対です。でも、母たちのようなやり方で「反対!」とは言わないので、母にはそれが少し不満のようです(笑)。


そんな母ですが、私が生まれるずっと前の話を、最近あらためて思い出しました。

会津若松の実家を出て、米沢で教員の資格を取るために大学へ通っていた頃のこと。母は、音楽が好きだった妹たちのために、月賦でオルガンを買ってあげたそうです。

今でも、母は4人の妹さんと1人の弟さんと、とても仲良し。人を祝福してきた人は、ちゃんと祝福を受け取っているのだなあ、と思います。


自分の体が痛くてつらい時も、母は人のことを心配する人でした。

家に来た父の母(私の祖母)の面倒を父6割母4割で見ながら、祖母のために「童謡を歌う会」を始めました。お年寄りが集まって歌う、月に一度の会。それを30年も続けてリードしてきたのです。


そんな母ですが、熱心なクリスチャンの叔母や親戚がいるのに、本人は「神様はいない」と思っています。小学生の時の友人に日曜学校に誘われて行っていて、主の祈りも祈っていたらしく覚えています。神様にこんなに愛されているのにね〜。だから私は、イエスさまの勝利の中で、母がその愛を受け取ることができると信じて、これからも祈ります。


私が今ここにいるのは、母のいのちがあったから。母和子を与えてくださった神様に、心から感謝します。


ここで、少しだけ、あなたにも聞いてみたいのです。


あなたには、うまく近づけなかった人はいますか?「もっと〇〇してほしかった」と思っていたのに、大人になってから、その人の生き方の中にある愛に気づいた、ということはありませんか?


親子の関係は、いちばん近いからこそ、いちばん複雑です。私自身、「あの時のさびしさ」が、大人になってからも心の中に残っていたことに、ずっと気づきませんでした。


コーチングは、答えを教えてもらう場所とゆうより、自分の心の中にある思いを、安心して言葉にし、整理していく時間です。言葉にしてみると、「私は、さびしかったんだ」「でも、こんなふうに愛されていたんだ」と、見え方が変わることがあります。



過去は変えられません。でも、過去の「意味」は、見つめ直すことで変わっていきます。

もし、家族との関係や、心の奥に残っているさびしさで、立ち止まっているなら、ひとりで抱えなくても大丈夫です。


お気軽に、ゴスペルエッセンスライフのコーチングをのぞいてみてくださいね。


お母さん、90歳、おめでとう。生まれてきてくれて、私のお母さんでいてくれて、ありがとう。


 
 
 

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